2019-12-05 第200回国会 参議院 文教科学委員会 第7号
でも、五教科のテストですから、この壁はもう果てしなく高いわけです。 そうして就学も進学もしなかった青少年というのは一八・二%になります。これ一般の二・七倍だそうです。それから、非正規就職率というのは四〇・〇%。これ一般の九・三倍だそうです。将来的には生活保護対象者にならざるを得ないのではというふうに指摘する有識者もおります。
でも、五教科のテストですから、この壁はもう果てしなく高いわけです。 そうして就学も進学もしなかった青少年というのは一八・二%になります。これ一般の二・七倍だそうです。それから、非正規就職率というのは四〇・〇%。これ一般の九・三倍だそうです。将来的には生活保護対象者にならざるを得ないのではというふうに指摘する有識者もおります。
これを受けて、国立大学協会は、二十八年の十二月に大学入学者選抜試験における記述式問題出題に関する国立大学協会としての考え方というのを出されて、全ての国立大学受験者に、個別試験で論理的思考、判断力、表現力等を評価する高度な記述式試験を課すことを目指すこと、パターン二を、具体的な問題例と採点基準等を今後十分に吟味した上で、五教科七科目の中の国語において国立大学の一般入試の全受験者に課す方向で検討すること
A、B、C、D、E、Fとランク分けして、そして、五教科の総合点、大体、五教科で五百点満点中四百五十点以上はこの学校が可能、四百点以上はここ、三百八十点以上はここ。つまり、平均評定とテストの合計点によって、君の行ける高校はこのゾーンですよということしか、そうやって受験が行われているわけです、現在。特に郡部に行けば行くほどそうです。
それから三点目の、中学校三年生の五教科のチャレンジテストの結果が実技教科の評定にも影響を与えることは不公平ではないかという点につきましては、過去の実際の評定の状況を踏まえて、五教科の評定平均の傾向と九教科の評定平均の傾向がほぼ同じであるということから、五教科のテストの結果をもとに九教科の評定の信頼度を確認することができ、また、評定平均の範囲には幅があるので、適正に評定を確認することができる、そういったものであるというふうに
○吉川(元)委員 ちょっと時間が来てしまいまして、まだほかにもたくさん聞きたいことはあったんですが、先ほどのお話でいいますと、デジタル教科書の価格については出版者が一義的には決めていくということであって、現状でいうと数百円から千円程度ということでありますが、例えば五教科でありますと五千円近くの費用がかかるというふうになりますし、更にもっとその五教科以外にもふやしていけば、当然その部分の負担がふえていく
今のやり方は、五教科満遍なくできる子供が東大に入っているというような選抜システムですけれども、それでいいのかどうかということと、もう一つは、優秀な学生は東大に入っている、入っているんだけれども、その後の研究育成システムや研究体制に欠陥があるんじゃないのかな、そのどちらかじゃないのかなというふうに思います。
京都市では、小学校三年生から中学校三年生まで、四教科、五教科、毎年、全生徒の学力テストをやっています。その結果は、全ての子供にしっかりと、どこが課題であるかわかるように返しています。復習教材も返します。そういうことを積み重ねる、そして教育委員会が学校ごとの課題を把握する、そして対策を講じる、こうしたことを粛々とやっていくことが大事であると思います。
高校入試、公立高校、五教科で百点以下で入っている人が、茨城で二百六十人いるんですね。それで、五教科で最低点数は何点かというと、四十点というんですね。これで公立高校に入れているという状況です。 私は、まさに、習熟度を満たさないで進学をしたり卒業していくというような状況があるんだろうと思っています。
もちろん卒業する努力が必要だと思いますけれども、門戸についてはそういった形で認めていくことが、いわゆる四教科、五教科と、それからいわゆる体育、音楽、そういう芸術やスポーツの能力についての差を、やはり垣根を取っていくことかなと思っているので、ぜひとも東京大学の方でもそういった推薦入試というのもやはり徐々に取り入れていただきたいな、いい方向であるなと、私はそういった報道では感じております。
その一九九四年から一九九六年にかけて、筒井先生の塾の中学三年生約二千五百名を対象に、数学、国語、英語、理科、社会の五教科で同じ問題を使った三百点満点の学力テストを行って年ごとの成績を比較したところ、一年につき十点近く、約三%平均点が低下をしていたというんですね。
これは正直、中学教育の問題もあるんですが、全国的には、五教科の試験をやって百点をとれなくても入学が可能な高校というのが今あるんですね。そういった状況で高校に入ったときに高校のカリキュラムに対応ができるかといえば、これは最初からなかなか難しい。
○那谷屋正義君 今拡大教科書の五教科について云々という話がありましたけれども、実は図工とか美術といった主要教科以外の教科書で発行に踏み切った会社はいまだ出ずじまいという状況です。そして、高校の教科書についても、これまでも一点の発行もないままといういわゆる不名誉なゼロ更新、ゼロ記録を更新しているという、そういう状況であります。
ただ一方で、小中学校のいわゆる五教科、国語、社会、算数・数学、理科、英語といった五教科につきましても、まだ一部教科書発行者の教科書については拡大教科書が発行されてないものがございますし、図画工作や美術などの教科につきましては作成がなされておらないのが実情でございます。
これは、近年では平成十三年度から小学校、中学校、高等学校について、いわゆる五教科を中心に実施をいたしております。ただ、これは抽出の調査でございます。それから、教育課程の言わば実施状況あるいは次の改定に役立てるということで、恒常的な調査ということにはまだなっていないわけでございます。
まず、集合修習の関係、これは現在、委員御承知のとおり、クラス分けをしておりまして、それぞれのクラスに五教科の教員五人ずつが指導しておるということでございますが、これは人数がふえたらどうなるかということになると、これもやはりクラス編成を維持してきめの細かい集合修習を行いたいということを一つ考えております。
主要五教科についても、五教科平均して点数を取れるというのは、小学校六年生まででもう十分と私は思っておりまして、そこから後はもう、ある不器用な子供は特定の教科が、アインシュタインじゃないですが、特定の教科が面白いという子は、そこをしっかり頑張れと言って時間割を作ってやるということが必要なんではないか。
〔理事亀井郁夫君退席、委員長着席〕 もう一つ大事なことは、今、各都道府県が、高校入試の責任は都道府県がやっておりますが、これはもう基本的には調査書とそれから入試と半々ということにたしかなっているとは思いますが、実際には何が利いているかといいますと、五教科、つまり国社数理英という五教科の入試の、全教科の、教科の差は出ちゃいかぬのです。
○風間昶君 ちょっと切り口変えますけれども、いわゆる四教科、五教科などの学習、基礎科目の設定とか、あるいはそれぞれの教科で習熟すべき内容ということについて、でも今日的な状況からすると、かなり変えていかなきゃならないような要素もたくさんあると思うんだけれども、そのことについて大臣はどのように考えていらっしゃるのか、教えていただきたいと思いますけれども。
さらに、こういった力によりまして自分の考える力を養い、それによって自分の価値軸上でさまざまな情報を自己編集して、そして自分の意見として述べる、自分で自分の意見を表現するプレゼンテーションする力、この五つが私は二十一世紀の新しい五教科ではないかというふうに信じているわけでございます。これを総称しまして、私は、左の情報処理力に対比しまして、情報編集力というふうに呼んでおります。
選択教科の時間を仮に国語、英語、数学、社会、理科、五教科で平等に分けますと、総時間で幾らになるか、このことについて計算をいたしてみますと百八十七時間になると聞いておりますが、正しいでしょうか。合っているか合っていないかだけ御指摘くだされば結構です。 新教育課程では総合学習の時間が新設されます。
これは大学の受験制度的なものが、昔は五教科きちんと試験にあったのが、理系の場合ですと三教科に絞り込まれてしまっているということで、これではなかなか理系と文系とに分かれているのは時代おくれになるということの改善的なことにはならないと思うんですが、特に先生は教養学部でいらっしゃるので、その点、どうお考えなのかをお聞かせください。
現在、センター試験は完全なアラカルト方式にしておりますけれども、むしろ高等学校サイドからの御要望としては、従来の共通一次のように五教科をきちんと課してほしい、これが高等学校におきます教育を守る道であるというような御要望も非常に強いわけでございます。
○石井(郁)小委員 このセンター試験でも、これは国公立の場合ですけれども、五教科を全部課しているとは限らないわけでしょう。だから、これは少し丁寧な資料が要るかなと思うのですけれどもね。
例えば教科にしても、明治三十四年に旧土人児童教育規程というものがつくられておりますけれども、それによりますと、教科は修身、国語、算術、体操、このほかに男子は農業、女子は裁縫、こういう五教科に限定をされておりました。一般の小学校では、このほかに地理があり、歴史があり、理科があったわけです。この三教科が除外されている。しかも、修業年限は四年間。